
明治中期より注目されていた新しいエネルギーとして石炭が使用され、政府の工業立国の政策と需要の拡大を受けて、筑豊は日本最大の炭田地帯へ発展し、300近い炭鉱が開鉱し、最盛期は35万人が働いたと言われている。しかし、昭和30年代のエネルギー革命により石炭から石油へのエネルギー主軸の移行によって、最盛期300と言われた炭鉱が次々に閉山し、残ったのは”ぼた山”とかつての栄華を失った町、人々。エネルギー革命から受けた日本の高度成長時代の歴史はご存知の通りであろうが、その影で筑豊が受けた打撃は想像を絶するものがある。この影響は深刻であり、その後何十年も国の助成制度、所謂「石炭六法」で受ける資金に市の財政を頼らざるをえなくなるのである。 その後人口は減り続け、現在は約8万人の町になっている。(2006年3月に飯塚市・穂波町・筑穂町・庄内町・頴田町の合併により新飯塚市となり、人口約13万人へ拡大)その後、行政により石炭時代に培った文化遺産を基盤として、新たな街づくりに向け多面的な事業展開を行ってきた。その中で最も有効として注目されてきたのが「情報産業学園都市構想」(当時)である。 飯塚市は現総務大臣である麻生太郎氏の地元であり、中央官庁との強いパイプを生かし1966年には近畿大学九州工学部、 近畿大学九州短期大学、1986年には当時わが国唯一のコンピューターサイエンス総合学部である九州工業大学情報工学部(国立)の設立を行った。そこから、現在の産学官の連携による21世紀に向けた「トライバレー構想」へとつながる基盤になったのである。
現在、九州工業大学は、政令指定都市を除く地域で、大学発ベンチャー企業数では1位(経済産業省「平成15年度大学発ベンチャーに関する基礎調査」より)を誇る。当社もそのうちの一つではあるが、1992年頃より九州工業大学内にて、当時「ファジイ」研究の第一人者であり、かつベンチャー学会の理事を勤めていた山川烈教授を始めとする教授陣から「大学発ベンチャーの輩出」の声がキーになり、学内での「起業家育成論」や「経営学」の講義の開催が始まり、各研究室の主力研究を基盤として、研究教官のサポートのもと起業する学生が出始める。95年にはすでにその風土が確立され始め「主力技術があれば起業も可能だ」というようなイメージが出始めた。 学生の中には低学年のうちから、プログラム、データ入力、テスティング作業などの技術系アルバイトの経験をする者もおり、自分の技術力を企業に売り込み、ヘッドハンティング的に大企業に入社する者もあった。そういう意味で、一般的な「就職」というイメージとはまったく違った「自分の身に着けた技術で働く」という、仕事に対する本質的なイメージが他の大学とはもともと違っていたという点も特筆すべきところであろう。 特に技術者として、自分の技術を社会に出したいという欲求も非常に多く、自分への期待、可能性といった点も起業(任意団体、フリーランスを含め)を後押しする点にもなったと言える。 また飯塚市の学生の特色として、海外からの留学生が学生の約5%を占めている。昨今のIT業界の動向を見てみると、インド、マレーシア、中国などIT大国として台頭してきているアジア諸国が目立つ。そういった中、九工大は海外からの留学生も地方においては比較的多く、地域として受け入れる経験も豊富なことから海外からの留学生を受け入れる環境も確立されている。 留学生としては、飯塚市のように、温かく支援してくれる街に残りたい、という思いでの起業につながっている。これは前述したような、石炭時代の飯塚市住民の外部の人を受け入れる温かさと情熱の遺産がなしえたものである。 また、当社社員の半数以上の出身校である九州工業大学情報工学部は、16年前日本が初めて創設した、国立の情報工学部である。現在同大学はJava教育に力を注いでおり、平成13年度より当社技術本部長も、実戦的Java技術の指導者として非常勤講師に任命されている。また、同大学の学生をアルバイトとして受け入れる他、インターンシップを積極的に受け入れるなど、大学と一体となった人材育成に取り組んでいる。これらの取り組みが、優秀な人材の確保につながっている。
2004年6月には産学官連携に係る功績が顕著であると認められ、飯塚市の「e-ZUKA TRY VALLEY 構想」が産学官功労者として経済産業大臣賞を受賞した。 受賞理由は「旧産炭地域からIT産業への転換に成功し、「日本一創業しやすい街」づくりを掲げ、ベンチャー企業を次々と創出するシステムを構築。生産額、雇用増の成果を挙げ、地域経済産業の活性化に大きく貢献」とある。 以上の通り、全国的に飯塚への期待が高まっていることが外部からの評価として確認され、それがまた、ベンチャー創業への意欲を更に高めつつあることも確かである。
以上のように、同市が「アジアのシリコンバレーe-ZUKA」という目標に向かって地域ぐるみで変革してく中で、学生を中心とした若い人材が新たに育っていく環境を作れるかが重要である。そのためには、若者が挑戦する機会を創出するとともに、若者が3年後、5年後の将来の自分像を描くための身近なモデルとなる人材との交流の機会を作り出すことが求められる。また、創業しやすいまちとしての認知度は上がりつつあるが、企業の成長に不可欠な「優秀な人材が集まるまち」にしていく必要がある。高度人材が働きたい・住みたいと思えるまちづくりを実現し、そのイメージを周知させていく必要がある。そのためには、子育て・教育・医療・福祉・食・安全・交通・娯楽等、様々な分野での問題を解決していくことになるが、その課題解決についても若者が挑戦する場として活かしていくべきであろう。地域には、現段階でも様々な課題に取り組んでいる団体が数多く存在する。しかしながら、それぞれの連携が取れていないため、お互いがシナジー効果を生み出し、大きな力となるまでには至っていない。これは、各コミュニティを相互につなぐHUBとなるような機能が存在していないためであり、それこそが地域に嘱望されているものである。逃れようのない事実として、飯塚市は高齢化や財政状況など自治体としては危機的な状況にある。しかし、これは近い将来、全国の多くの地方自治体が直面するであろう困難でもある。飯塚市は、その困難に一足早い段階で立ち向かうという状況の中にある。飯塚市がこの状況を打開し、もう一度活力の有る地方として復活する過程を、モデルとして全国に発信することで元気な日本を作る呼び水となっていきたい。 具体的な活動としては以下の通りである。
ITと地域との融合・WEB2.0という概念がインターネットの世界を猛烈な勢いで進化させているが、ITは、裏方としてリアルな地域社会と融合することでこそ、真価を発揮すると考えている。商店街や直販所、道の駅などに適用し、ITがあるからこそ実現できるユーザー参加型モールを作っていく。WEBや紙など、様々な手段で利用者からの評価や、ニーズに関する情報などが集まると、それがマーケティングに活用するため、チャレンジショップや生産者にフィードバックする。また、これらの情報は可能な範囲でオープン化し、商店街などにもフィードバックしていき、地域全体のレベルを向上させる。
地域資源の融合・地域にある物質的資源、人的資源が集まり、交流する仕組みがあることで、新たなるイノベーションが生まれやすくなる。また、地域の名人やコミュニティなど地域資源の情報をデータベース化することで、課題解決をスムーズにすることができる。また、バーチャル・ボード・ミーティングや交流会などで若者と地域のメンターや師匠との出会いを創出し、若者に目指すべきロールモデルを見つけてもらうことでエンパワーメントする。若者の中から、次の新しいメンターや師匠が育っていくことで、プラスの循環が生まれていく
地域住民の巻き込み・ITの世界では、メーリングリストやブログなどにより、普通の人がある分野においては大きな注目を集め、人気者になるという現象が数多く起きた。そして、他者から認められたり、注目されたりすることで、主体的な参加意欲がより向上するのである。地域社会の中にも同様のことは起こりうるわけであるが、自然発生的に起こるのを待つのではなく、そのための仕掛けや仕組みを提供することが必要である。地域住民が自己表現をできる場をコーディネートし、地域に眠る才能を発掘することで、地域住民の中から、新たなヒーロー・ヒロインを次々と生み出し、地域社会を活性化させる。
今年は、当社の市場開発室室長の濱野彰彦が経済産業省の外郭団体であるベンチャーエンタープライズが主催するチャレンジコミュニティ創成プロジェクトのチャレンジプロデューサーに選出され、上記をベースとした、インターンシップ事業の確立を行っています。